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【高沢秀昭さん/元プロ野球選手・保育士】 人生は一度きり、新しい世界にも楽しんで挑戦してほしい

2024年2月21日
高沢さん
プロ野球選手として、そして引退後はコーチとして、野球界で輝かしい実績を残した高沢秀昭さんは、「子どもに関わる仕事をしたい」と還暦を過ぎてからキャリアチェンジに挑戦。現在は保育士として日々子どもたちと接しています。一つの道を極めた「職人」が、全く違う世界に飛び込んだ経緯と、大変ながらも充実した「第二の人生」について伺いました。

現役時代に培ったのは諦めずに続けること

私は社会人野球を経て、1979年に当時のロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団しました。最初プロのレベルの違いを感じ、不安な気持ちでいっぱいでした。特に同僚で一緒にプレーした落合博満さは、三冠王を三度も獲った選手でしたから、間近見ていて本当にすごいなと感じました。 
 
その時々のコーチや監督には様々なアドバイスをいただきましたが、自分なりにいろいろな選手のやり方を見て、バッティングフォームを真似したりしながら、良いところは取り入れる、ちょっと違うなというものはやらない、というような試行錯誤を重ねました。そこで培ったのは「諦めずに頑張り続ける」ということ。現役時代は怪我が多く、リハビリの期間も長かったので、「もうダメだ」と何度もいましたそれでも最後まで諦めなかったからこそ復帰もできたので、今は良かったかなと感じています。 

高沢さん

現役時代で一番印象に残っているのは、やはり1988年10月19ロッテ×ダブルヘッダーの試合です。ロッテは最下位が確定していたのですが、近鉄にとってはパ・リーグの優勝が決まるという試合、そこで同点ホームランを打ったのが私でした。結果近鉄は優勝を逃すことになり、今でも「あの時の…」と言われることがあるので、私だけではなく野球ファンにとっても印象的な試合だったのだと思います。 

純粋に野球を楽しむ子どもたちの姿に魅せられて 

現役引退後、1993年からはロッテのコーチとしてチームを支えることになりました。自分が選手時代にやってきたことや考えを押しつけるのではなく、選手がやりたいことを優先して指導をしてきたつもりです。特に二軍の選手は高校を出たばかりの18歳19歳の選手が多いですから、技術的な部分でアドバイスしたり、試合に出た時の精神的な部分をサポートしたりすることが多かったです。一方一軍の選手は、そのレベルは超えているので、技術面よりもその日の試合に気持ちよく臨めるような配慮を心がけていました。 

その後2010年より、千葉ロッテマリーンズの少年野球教室「マリーンズアカデミー」でコーチを務めました。ここで一番大事にしたのは「野球を楽しんでもらう」ということです。野球が楽しいと思えたら、技術的なことはその先いくらでも身につけられます。私自身、選手やプロのコーチの時は毎日が勝負で、辛い、大変、という気持ちが大きかったのですが、アカデミーで子どもたちが純粋に野球を楽しんでいる様子を見て、「やっぱり野球は楽しいものなんだ」ということを再認識させられました。 

以前から子どもは好きでしたが、特にアカデミーで小学生に指導していたとき、「この仕事は自分に合っている」と感じました。次第に、野球の仕事が終わったら子どもに関わる仕事をしたいと考えるようになり、それならばストレートに「保育」かな、と。そう決めてからは、あまり迷いはありませんでした。 

野球の世界から一転、保育の世界に飛び込む 

還暦を迎えた60歳で野球界を離れた後、まずは保育補助で仕事をさせてもらえないかと思い、自宅の近所の保育園をいくつかまわりましたが、やはりどこからもよい返事はいただけませんでした。ただ、その中の一つ、現在の就職先でもある保育園の園長が「そんなにやる気があるのなら、資格を取ったらどうですか」と勧めてくださって。取得する方法なども詳しく教えていただき、「じゃあ、資格を取ろう!」と決心しました。 

専門学校には2年通いました。同級生はだいたい18歳、19歳という年頃の方々でしたが、私の場合、二軍でコーチをしている時間が長かったので、この年代の選手に接することに慣れていたんです。学校側は「若い人とうまくやれますか?」と心配されていましたが、自分としては自信があったのでそれをお伝えし、入学を認めていただきました。 

実際に勉強を始めると、初めてのことばかりで戸惑うこともいくつかありました。特にピアノは、今まで触ったこともないし音楽にもほとんど関わりがなかったので、随分苦労しました。自分でもピアノ教室に通い、休みの日はほぼ1日ピアノの前に座って練習し、なんとかクリアすることができました。 

プロ野球でのキャリアが、学びの妨げになったことは全くありません。一緒に授業を受けているクラスメイトは私の経歴を全く知りませんでしたし、何よりも好きなことに挑戦するワクワク感の方が大きかったです。ずっと野球ばかりやってきたので、学校で勉強することが面白くて仕方がなく、知らないことを知ること、やったことがないことをやれるようになることは、とても楽しい経験でした。例えばこれが、野球に関わることだったらどうだったのかはわかりませんが、保育は全く違う分野なので、人の話を素直に聞いて受け入れることは難しくはありませんでした。

高沢さん

保育は子どもたちを守りながら元気をもらえる仕事 

保育士の資格を取った後は、アドバイスをしてくれた園長がいる保育園に就職しました。最初は緊張するばかりで、楽しいという気持ちもあまり感じませんでしたが(笑)。子どもの命、安全を守るというのは保育士として基本的なことですが、例えば掃除ひとつ、おむつ替えひとつにしても、子どもたちが快適に園で生活できるよう、常に配慮をしているつもりです。 

仕事は大変な面もありますが、子どもたちの笑顔を見ていると、こちらもエネルギーをもらって元気になります。私は0歳児から2歳児のクラスに入ることが多いのですが、例えば、まだ簡単な一語文しか話せない1歳児が、私のことを「ジイジ」と呼んだり(笑)。ハイハイもできなかった0歳児の子どもが、小走りをするように歩いているのを見ると、子どもの成長の速さというのを実感して感動を覚えます。 

高沢さん

保育園での仕事はできるだけ長く続けたいと思いますが、今後もしも体力的に難しくなったとしても、何らかの形で子どもに関わって行きたいと思っています。例えば家庭保育など、自宅で子どもを預かることもできると思うので、いろいろな可能性を視野に入れながら考えていきたいです。 

プロ野球のユニフォームから保育士のユニフォームに着替えての「第二の人生」ですが、自分が本当にやりたいことへの挑戦であれば、人は頑張れるものです。私のように異業種へのキャリアチェンジを考えている方がいらっしゃるのならば、人生は一度きりですので、結果を恐れずにチャレンジしていってほしいです。 

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